The story
皆さん、こんにちは。私はガイドのアブシャです。今、私たちは奈良のシンボルの一つ、猿沢池のほとりに立っています。
まずは足を止めて、目の前に広がる穏やかな水面を眺めてみてください。 風が止まった瞬間、水面はまるで巨大な鏡へと姿を変えます。そこに映し出されるのは、空を突くようにそびえ立つ興福寺の五重塔です。
この「猿沢池に映る五重塔」は、奈良八景の一つにも数えられる絶景で、千年以上もの間、この場所を訪れる人々の心を捉えてきました。周囲を縁取る柳の枝が、時折吹く柔らかな風に揺れる様子は、まさに日本の情緒そのものと言えるでしょう。 この池は、奈良時代の天平21年、西暦749年に造られた人工の池です。
もともとは興福寺の「放生会」、つまり捕らえられた生き物を池に放して功徳を積む儀式のために作られました。今でも、池のあちこちで亀たちが岩の上に乗って、のんびりと甲羅干しをしている姿を見ることができます。彼らのゆったりとした動きを見ていると、現代の忙しさをふと忘れてしまいそうになりますね。
しかし、この美しい池には、古くから伝わる切ない物語も秘められています。池の北西にある小さな神社、采女神社に注目してみてください。奈良時代、帝の寵愛を失ったことを悲しんだ采女という女官が、この池に身を投げたという伝説があります。
不思議なことに、この神社の社殿は池に背を向けて建てられています。亡くなった采女が、自分が身を投げた池を見るのが忍びないとして、一夜にして社殿が後ろを向いてしまったと言い伝えられているのです。毎年、中秋の名月の日には、彼女の霊を慰める「采女祭」が行われ、美しい花扇を乗せた管絃船が、雅楽の調べとともに池を巡ります。
池の周りをゆっくりと歩いてみましょう。ここから北側の階段を登れば、興福寺の荘厳な伽藍へと続き、南へ進めば、江戸時代の面影を残す「ならまち」の細い路地へと迷い込むことができます。猿沢池は、聖なる寺院の世界と、人々の賑やかな暮らしが交差する、境界線のような場所なのです。
ベンチに腰を下ろし、水面に映る五重塔を眺めながら、この地が重ねてきた長い歴史に思いを馳せてみてください。古都の風が、あなたの心に心地よい静寂を届けてくれるはずです。準備ができたら、また次の物語を探しに、ゆっくりと歩き出しましょう。